双葉十三郎『ぼくの採点表 別巻(戦前篇)』より 『椿姫』評

1921年版 ☆☆☆★(☆=20点 ★=5点)

 パリ社交界、椿の花が好きなので<椿姫>と呼ばれている高級遊女(クルティザン)のマルグリート・ゴーチエは、伊達男たちの憧れの的だったが、若いアルマン・デュヴァルと恋におちる。が、アルマンの父は息子の将来を思い、彼女を訪ねて別れてくれと頼む。子を思う親の心にほだされ、愛する人の幸せを願う彼女は、アルマンに心にもない愛想づかしを言って別れるが、彼への想いは断ちきれず、ついに病床に伏す身となる。明日をも知れぬ命と知らされたアルマンの父は、彼女の愛情に打たれ、息子を見舞いに行かせる。彼女は彼の胸の中で息絶える。

 というオペラであまりにも有名なデュマ・フィスの悲恋ロマンスの映画版は、1912年に、大女優サラ・ベルナールが、15年にはクララ・キンボール・ヤングが、17年にはセダ・バラが、20年にはポーラ・ネグリが演じたが、ぼくは残念ながら見る機会がなく、はじめてみたのは21年にアラ・ナジモヴァが主演したこの一篇である。ただし、あまり感心はしなかった。アルマンはルドルフ・ヴァレンティノで、当時はまだ大女優ナジモヴァに可愛がられていた二枚目としてしか知られていなかった。大変な美男ぶりだったが、肝心のマルグリートのナジモヴァは、貫禄こそ十二分だが大芝居が目立ちすぎ、ひとりでご機嫌になっている印象を受けた。(p464)

・1926年版 ☆☆☆★

 こちらはノーマ・タルマッジ、ギルバート・ローランド共演の1927年版で、監督はちょっと畑違いのフレッド・ニブロ。明るく溌剌とした美人ノーマ・タルマッジが肺病で死ぬ椿姫に扮するのは違和感があったが、なかなかの魅力があった。舞台設定を現代になおしていたのも新鮮で面白かった。(p464)

・1934年版 ☆☆☆★★

 これはトーキーになってからの1934年、地元フランス版で、舞台の名女優イヴォンヌ・プランタンのカミーユ。お相手アルマンは舞台でもよきコンビだったピエール・フレネー。ドラマの「椿姫」として並々ならぬ本格派で、イヴォンヌの名演技が堪能できる。(p464)

・1936年版 ☆☆☆★★★

 これは1936年のアメリカ版。演技的にはイヴォンヌ・プランタン主演のフランス版がホンモノという感じだが、映画的にはこのグレタ・ガルボ版が一番といえるだろう。ジョージ・キューカーの演出が優れているからで、ゾエ・エイキンスにフランセス・マリオンジェームズ・ヒルトンまで投入した脚色構成もがっちりしており、グレタ・ガルボロバート・テイラーの悲恋ロマンスをたっぷり見せながら、堂々たる風格の一篇に仕上げられている。ただ、ガルボはあくまでガルボであって、カミーユではない。パリの社交界で人気のクルティザンとして華やかさが足りないように思えるし、死ぬくだりの哀れさも感じられない。お相手のロバート・テイラーは、ぼくが見たアルマン役では最も端正な美男である。(p465)