『昭和・二万日の全記録』(講談社)

1989(平成元).2

『昭和・二万日の全記録7』廃墟からの出発:昭和20年→21年

激動と新生の2年間。
ドイツの降伏、原爆投下、そして敗戦。虚脱感のなか、占領が開始され、天皇の神格が否定された。飢餓の廃墟に立つ国民に明るさが戻るころ、新憲法が公布され、「民主主義」が合言葉となっていった。

昭和20年は現代史の「分水嶺」として記録されよう。すでに太平洋戦争の敗色濃く、東京はじめ全国各地に空襲の惨禍が及び、やがて沖縄戦、「盟邦」ナチス・ドイツの降伏、原爆投下、終戦、連合軍進駐と続き、日本は、いわば“マッカーサーの虜囚”となった。そして21年、廃墟の中に天皇の「人間宣言」があり、新憲法が生まれる。

1989.4

『昭和・二万日の全記録8』占領下の民主主義:昭和22年→24年

大いなる希望の日々。
憲法施行下、占領軍と日本の保守勢力は民主化にブレーキをかけ始める。希望の日々の裏側で、下山・三鷹・松川などの暗い事件が起こり、経済安定の背面で、合理化・倒産・人員整理の波が国民を襲った。

昭和22〜24年、季節は民主改革から、「占領軍の意向に沿った」日本経済の自由化へと渡る。六・三・三制発足、新憲法施行、「家」制度の廃止と続く新たな日々は、またドッジ・ライン強行による経済安定のかげで、企業合理化と倒産・失業を続出させた。そして太宰治笠置シヅ子湯川秀樹らの名が刻まれる。

1989.5

『昭和・二万日の全記録9』独立ー冷戦の谷間で:昭和25年→27年

占領は終わった!
冷戦の谷間、朝鮮戦争が勃発。「反動化」の強まるなか、「特需」景気は日本経済の再建を推し進める。美空ひばり白井義男らが国民を勇気づけるなか、マッカーサーは去り、6年余に及ぶ占領も終結する。

1950年(昭和25)、東西の冷戦はついに火を噴いた。朝鮮戦争は、日本の講和・独立への歩みを早め、「特需」が経済の急速な復興を促した。講和・日米安保両条約の同日調印――、そして6年余に及ぶ占領は終わった。すでにマッカーサーは去り、美空ひばり白井義男らの新しいヒーローが誕生する。

1989.6

『昭和・二万日の全記録1』昭和への期待:昭和元年→3年

開幕。われらの時代。
激動の新時代「昭和」が始まった。鉄筋アパート群や交通網が整備され、モボやモガが街を濶歩する一方、思想弾圧はますます強化され、はるか大陸では張作霖が爆殺される。波瀾の60有余年を象徴する「昭和」の第1楽章。

昭和元〜3年、新しい時代の幕が開いた。鉄筋アパートの建設、私鉄の発達、円本・映画の隆盛など、新しい生活や文化が展開する。一方、各地で争議は頻発し、社会運動への弾圧は厳しさを加え、対外強硬派は大陸への野望を実行に移していった。芥川竜之介の自殺は、この不安な時代の象徴的事件といえよう。

1989.7

『昭和・二万日の全記録2』大陸にあがる戦火:昭和4年→6年

恐慌下にのぼる熱気。
金解禁による恐慌下の大量失業、農村疲弊、争議頻発。古賀メロディーが流れ、人々はエノケンやトーキーや早慶戦に熱中する。そして巷にはエロ・グロが氾濫し、不安と明るさが奇妙に共存するなか、満州事変が勃発した。

経済再建を目指す浜口雄幸内閣の構想・緊縮財政と金解禁……。しかし世界恐慌の直撃は、中小企業の没落、大量失業者、農村の疲弊を呼んだ。一方、地位向上を求める女性が社会進出し、弾圧下で活気ある争議が頻発する。古賀メロディーや、エンタツアチャコエノケンらの新しい笑いが世に溢れるなか、満州事変が勃発した。

1989.9

『昭和・二万日の全記録3』非常時日本:昭和7年→9年

孤立化への「挙国一致」。
傀儡(かいらい)国家「満州国」は国際連盟の承認を得られず、日本は連盟を脱退、国際的孤立の道を歩み始めた。あいつぐテロ事件、政党内閣の終息、強まる言語・思想への弾圧……軍部は“非常時”を叫びつつ、政治的影響力を増大させていった。

昭和の歴史は暗い時代の入り口にさしかかった。満州国建国が国際連盟の承認を得られず、日本は、8年3月連盟を脱退し、孤立化の道を進みはじめた。政治的発言力を増大させた軍部は、総力戦体制へ向けて国論を統制していく。工場は軍需景気に沸き、農村には欠食児童や娘の身売りが続出した。

1989.10

『昭和・二万日の全記録4』日中戦争への道:昭和10年→12年

銃声と硝煙の季節。
天皇機関説問題、国体明徴声明という時代風潮のなか、陸軍部内の対立から永田鉄山刺殺、やがて二・二六事件が起こる。広田内閣は戦争につながる「国策の基準」を決める。そして盧溝橋の一発の銃声から日中戦争が勃発した。

近代政治体制を否認する天皇機関説排撃運動と、陸軍内部の抗争が激化するさなか、11年、皇道派青年将校による重臣らの襲撃事件が発生した(二・二六事件)。その鎮圧を契機として陸軍の指導権は統制派が掌握、以後軍部は独裁体制の基礎を固めていく。ついに12年、日中両軍は盧溝橋で衝突、戦線は拡大の一途を辿った。

1989.11

『昭和・二万日の全記録5』一億の「新体制」:昭和13年→15年

緊迫の開戦前夜。
徐州作戦、武漢作戦と日中戦争は長期化し、国内では国家総動員法による経済統制が拡大した。「新体制」の確立が叫ばれ、欧州でのドイツの進撃に眩惑された日本は日独伊三国同盟に調印、英米との対立は決定的になった。

日中戦争は、泥沼の長期戦に陥った。国内では国家総動員法が成立し、統制は各分野に拡大していった。第2次世界大戦勃発――。ドイツの進撃に眩惑された日本は、昭和15年9月、日独伊三国同盟締結に進む。英米との対立は深まり、「紀元2600年」の祝賀行事が終わると、国民は大きな戦争へと駆り立てられていった。

1990(平成2).1

『昭和・二万日の全記録6』太平洋戦争:昭和16年→19年

破局への長い道
日本のハワイ真珠湾攻撃によって、ついに日米開戦。マレー、蘭印と緒戦の勝利も、たちまちミッドウェー、ガダルカナルの敗戦へと暗転する。戦局は逼追し、戦場へ、軍需工場へ、戦争への動員に国民生活は破綻していく。

昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発。日本軍は東南アジア各地を占領したが、17年以降太平洋上ではアメリカの反攻によって形勢は逆転し、日本の敗色は濃くなった。総力戦が謳われ、人々は軍需工場に動員され、学生も戦場に送られた。主婦らはヤミや買い出しで生活を支え、子どもたちは疎開した。

1990.2

『昭和・二万日の全記録10』テレビ時代の幕あけ:昭和28年→30年

繁栄へ!離陸開始。
再軍備への兆しがあらわになる一方、原水爆禁止運動、基幹産業ストなど、平和と繁栄を求める国民意識も高まる。経済は後の高度成長への離陸を準備し、そして記念すべきテレビ時代が到来、日本は新たな時代へとはばたく。

政党の離合集散、再軍備と逆コースの風、基地反対闘争と原水爆禁止運動、さらに基幹産業の大ストライキ……。昭和20年代末は騒然たる世相ではあった。しかしこの時期、日本経済は確実な地力をつけ、来るべき高度成長への離陸を準備していたのである。そしてテレビ時代の到来!戦後は遠のきつつあった。

1990.3

『昭和・二万日の全記録11』技術革新の展開:昭和31年→34年

「もはや戦後ではない」。
技術革新と設備投資は未曾有の「神武景気」を呼び、国連加盟により国際社会にも復帰した。岸内閣は「一次防」、「警職法」改定、「日米安保」改定へと始動。広範な反対運動の一方で、人びとは皇太子成婚のテレビ中継に沸き返った。

「経済白書」が「もはや戦後ではない」として、戦後の復興期に訣別し、「技術革新」ブームによって日本経済が成長期に突入した頃――。人々が「三種の神器」に夢を託し「消費革命」を謳歌する一方で、保守政権は憲法調査会、勤務評定、警職法などによって、革新勢力と対決姿勢を急速に強めていった。

1990.5

『昭和・二万日の全記録12』安保と高度成長:昭和35年→38年

アンポ!ハンタイ!!
「黄金の’60年代」が、「安保」と所得倍増計画で明けた。生産と消費は急激に拡大、電化製品やプロパンガスがくらしを変えた。1000万都市東京の誕生、大規模な工業開発。「豊かさ」に向かって、列島の風景が変わり始めた。

安保闘争が終わると経済の時代が始まった。「豊かな社会」が実現されようとしていた。黒四ダム完成、名神高速道路開通。原子力発電が始まり、新幹線の工事も急ピッチで進んだ。経済大国への基盤が着々と形成されていった。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」。新しい歌が人々の心をはずませた。

1990.6

『昭和・二万日の全記録13』東京オリンピックと新幹線:昭和39年→42年

再び世界の舞台に。
国際的地位の復活を告げた東京オリンピック。整備される大量・高速輸送網、「3C時代」の招来――経済成長は続いた。しかし、公害の激化、交通事故の急増など、高度成長の「ひずみ」が列島に刻まれていく。

佐藤内閣のもとでも経済成長は実績を伸ばし、国民は3C(カラーテレビ・カー・クーラー)時代を享受した。その反面、交通事故、公害は激化の一途をたどった。日本経済の国際化は進んだ。しかし激動するアジアの中で日本の進路に不安を抱く民衆は、原潜反対闘争、べ平連運動などを通じて政府に強い異議申し立てを行った。

1990.7

『昭和・二万日の全記録14』揺れる昭和元禄:昭和43年→46年

「太平日本」の虚と実。
「昭和元禄」の太平ムードのなか、大阪で開かれた日本万国博覧会は、GNP世界第2位の「経済大国」を内外に誇示した。一方、日大・東大など学園紛争の嵐が全国に吹き荒れ、経済成長のかげで、公害はいっそう深刻化した。

高度成長を続ける日本のGNPは、西側諸国で第2位となり、「昭和元禄」の太平ムードが溢れた。その一方で、公害は日常的に国民生活を蝕み、日大・東大をはじめとする学園紛争は全国に波及した。日本万国博覧会が「経済大国」を謳歌した1970年(昭和45)、日米安全保障条約が自動延長された。

1990.8

『昭和・二万日の全記録15』石油危機を超えて:昭和47年→50年

絶頂期を襲う衝撃波。
横井庄一の28年ぶりの帰還、沖縄返還、日中国交回復……。田中角栄の「列島改造論」に沸くなか、戦後の区切りが果たされた。しかし、引き続き襲った石油危機は、高度成長を終熄させ、社会を根底から揺るがす事態を招いた。

旧日本軍兵士横井庄一が28年ぶりに帰還、沖縄が返還され、日中国交回復が実現した。「日本列島改造」を掲げる田中角栄の登場に人びとは沸いた。しかし、48年秋、石油危機が始まった。GNPは初のマイナスを記録、「物不足」と「狂乱物価」が列島を席巻した。高度成長の時代は終焉し、日本経済は危機の時代を迎えた。

1990.9

『昭和・二万日の全記録16』日本株式会社の素顔:昭和51年→54年

低成長時代のため息。
田中逮捕!衝撃が全国を走り、ロッキード事件の真相究明は国民の声となった。日本の輸出洪水に対する世界の批判、低成長時代に入った国内の澱んだ空気のなか、王貞治のホームラン世界新記録が明るい話題だった。

ロッキード事件の構図が明らかになり、不透明感はつのる一方だったが、王貞治の通算ホームラン世界新記録。プロゴルファー青木功の活躍、初の東京国際女子マラソンの開催など、スポーツの世界が明るい話題を提供した。「嫌煙権」が市民権を獲得し、新東京国際空港(成田)が開港、日中平和友好条約が調印された。

1990.11

『昭和・二万日の全記録17』経済大国の試練:昭和55年→58年

世界の批判のなかで。
米ソ対決が深まり、世界が新冷戦時代を迎えるなか、国内では大平正芳首相が急死、総選挙は自民党が圧勝する。一方、貿易摩擦、歴史教科書歪曲問題など、経済大国日本は反日感情の波にさらされ、苦難の渕に立たされる。

世界が新冷戦時代を迎えるなか、国内では太平正芳首相の急死の後、保守安定政権が誕生した。軽薄ムードが蔓延する一方で、校内・家庭内暴力の頻発、乱診乱療事件など殺伐たる世でもあった。対外的には欧米との通商摩擦が際立ち、「歴史歪曲」問題では反日感情の矢おもてに直面、日本は試練の渕に立たされた。

1990.12

『昭和・二万日の全記録18』世界のなかの日本:昭和59年→62年

「国民化」社会の矛盾。
「戦後政治の総決算」を唱えた中曽根首相は行政改革を断行、国鉄は分割・民営化された。防衛費もGNP1%枠を突破した。円高は進んだが、日米貿易摩擦は緩和されず、土地高騰は、国民の一部と企業へ資産を集中させた。

日米貿易摩擦円高によっても緩和されなかった。貿易黒字は国民生活向上には結びつかず、人々は「かい人21面相」の出没や阪神タイガース優勝にわきかえった。国内の金あまりは、財テクブームを呼び、地上げ屋が横行し、豊田商事事件がおきた。中曽根首相は「戦後の総決算」を提唱、国鉄は分割・民営化された。

1991(平成3).2

『昭和・二万日の全記録19』昭和から平成へ:昭和63年→64年(付: 全資料総索引)

ひとつの時代の終焉。
リクルート疑惑の発覚で、政・財界が未曽有の混乱を極めるなか、天皇の大量の吐血・下血が発表された。そして64年1月7日、昭和終焉の日を迎える。――昭和を広く深く知るための全資料と全巻総索引も併せ収録。

円高を克服して好況を続ける日本経済の下で、マネーゲームに明け暮れ、繁栄に酔いしれる人々を、リクルート疑惑が震憾させた。さらに史上最大のソウル五輪に沸く人々を、天皇の大量吐血が直撃した。以後、国内は急速に「自粛列島」と化し、人々は「激動の昭和」へ想いをはせつつ、終焉の日を迎えた――。